自力と他力

自力とは自転車、他力とは公共交通機関

自力とは自分でやること。
他力とは他人にやってもらうこと。

自力と他力にはそれぞれ、良い面と悪い面があります。

他力は自分でやらないので、楽です。その反面、相手に合わせる必要があります。また、結果を左右するのは他人です。

通勤方法を例に見てみましょう。

家から職場まで電車やバスで向かうとします。これは他力です。自分で何もしなくても、公共交通機関が自動で運んでくれます。その為、その時間に読書など、好きな事ができます。

その反面、時刻表通りに駅やバス停に着くようにしなければなりません。家を出る時間は必ず守らないといけません。

遅延が発生したり、混みすぎて乗れない事があります。電車やバスが遅れるのを、自分の力で解消することはできません。ただ乗って待っているだけです。満員で乗れなかったら、次に来る電車やバスを待つしかない。

時間通りに到着できるかどうかは他人(電車やバス)次第です。

一方で、自力は自由です。結果も自分次第で変えられます。その反面、大変です。責任は全て自分にあります。

家から職場まで、自転車で行くとします。まず自転車を自分でこがないことには先に進みません。当然疲れます。雨が降ればカッパを着て濡れながらこがなければなりません。

一方で、時刻表は関係ありません。早く出れば早く到着します。まあまあ遅く出ても、その分急げば間に合うでしょう。自分次第なのです。相手に合わせる必要がありません。

家を出る時間が遅れてしまった場合、遅延は自分の責任ですが、雨や事故で遅れることはないでしょう。その代わり、カッパを着て行く必要があります。当然濡れます。しかし、満員で乗れないということはありません。

自転車をこいでいるので、読書など好きなことはできません。(音楽や英語を聴きながら自転車に乗っている方がいますが、注意力が下がり危険なのでやめてください。)しかし、運動を兼ねていることになります。毎日運動ができるのです。

このように、自力と他力にはそれぞれ良い面と悪い面があります。

他者から自由になるためには自立しなければならない

全てを自分でこなすことはできないでしょう。人は一人で生きていくことはできません。必ず誰かの世話になっています。今着ている服も多くの人が関わって存在しています。

しかし、福沢諭吉が言うように独立自尊の精神は大事にしたいものです。
福沢諭吉は「学問のすすめ」で以下のように述べています。

人に依存する者は必ずその人を恐れ、人を恐れる者は必ずその人間に媚びへつらうようになる。常に人を恐れ媚びへつらう者は次第にそれに慣れ、面の皮が厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論ずべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりである。

名著「7つの習慣」では、
依存→自立→相互依存
という具合に、成長していく必要性を説いています。

完全に他人に依存している状態から、自分でやる状態に自立する。そして、自立した者同士が助け合う相互依存を目指すのです。

他力だけで生きている人の場合、結果を他人のせいにします。他人のせいにしている限り、失敗から学ぼうとしないので、成長もしません。故に、ずっと他人の陰に隠れながら生きていかなければならなくなります。

そうならないためにも、常に自己成長を目指して、自力でできる事を増やす必要があるでしょう。すぐにはできなくても、いずれ自分でやる事だと意識し、自分事で事に当たりましょう。

<参考文献>

学問のすすめ

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

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