子供がいなければ「死」しかない
良い意味で変わらない態度
令和3年にある方が亡くなりました。そんな時、その場に大人しか居なければ、重苦しい空気が流れるだけです。
しかし、子供が居ると柔らかな雰囲気が漂います。
当たり前かもしれませんが、小さな子供は誰かが亡くなっても、態度や行動を変えないからです。良い意味で普段どおりなのです。
それは死を理解していないからでしょう。
でも、それでバランスが取れているのだと思います。
大人…悲しい、もう会えない、意気消沈、神妙な面持ち、涙
子供…死を理解できない、もう会えないことを悟ることができない、普段どおり、笑顔もある
上記に見るように、子供はフラットなのです。大人が放つ重苦しい雰囲気を、ゼロラインに戻してくれるのです。
子供が居るだけで、命の炎がそこにある
子供というのは大人と比べるとパワーがあります。元気があります。笑顔があります。
「どこにそんな力があるの!?」と驚くほど動き回るのです。
また、子供は笑顔を与えてくれます。
ゴリラは子供の頃は笑うのに、大人になると笑わなくなるそうです。
人間も大人より子供の方が、圧倒的に笑うでしょう。だから、大人の「笑い」の低下を、子供が補ってくれていると思うのです。
生物学的には、子供は親から「可愛い」と思われることで、「世話」という行動を引き出しているだけかも知れません。
しかし、生物学的な理由はさておき、行動、笑顔、元気、パワーというキーワードが象徴するように、子供は命の炎なのだと感じています。
子供は未来そのもの
子供は命の炎です。私の身近な方が亡くなった時、そこに子供がいました。
子供は普段通りに振る舞っていました。元気に動き回って、笑顔も見せてくれていました。
そんな子供が居る空間では、亡くなった命の側で、確かに命の炎を感じたのです。それは未来とも言い換えられるでしょう。
もし、その空間に大人しかいなければ、神妙で重苦しい空気が流れていたはずです。そして、そこには「死」しかなかったでしょう。大人は「死」に向かいます。しかし、子供は「未来」に向うのです。
大人…死に向かう存在
子供…未来に向かう存在
今回身近な方の死と子供というコントラストの中で、子供は大人に笑顔と未来を与えてくれる存在なのだと感じたのでした。