価値の提供とは、情報の提供である
他人が知らないことを教えてあげれば、人助けになる
あなたは知っているが、相手は知らないことには価値があります。
例えば、何かしら試験の過去問。
ある年に、あなたが何かしらの試験を受けて、問題の傾向を知っているとします。
次の年に同じ試験を受ける人は、あなたが試験を受けたたときに、どのような問題が出題されたのか知りたいはずです。
それを教えてあげれば、相手の役に立てるでしょう。
情報は惜しみなく提供せよ
情報を提供する時は惜しみなく提供することです。
情報を提供する人に、情報は集まる。
どこかで聞いた言葉ですが、おそらくその通りではないでしょうか。
情報を受け取った相手は、次にあなたが困った時に、何か良い情報を教えてくれるかもしれません。
つまり、人との繋がりがあなたを助けてくれるのです。
他人が知らない情報を見つける方法
価値ある情報を見つける方法。
それは、
観察する、本を読む、経験する、人の話を聞くです。
これらに共通する要素は「能動性」です。つまり、自分から取りにいかなければいけないのです。
しかし、自分ですら興味のないことを学ぶのは苦痛です。ですから、成り行きで経験したこと(試験の問題やトラブルの経験など)は別として、自分が好きなことを情報として提供するのが最も良い方法だと思われます。
他の人も楽しめる形で情報提供する
自分が好きで熱中している情報でも、他人が知りたいとは限りません。
つまり相手は、「知らないけど、別に知りたくない」と思っていることが多いでしょう。
ですから、相手が楽しめる形で紹介してあげる必要があります。
Eテレの『沼にハマってきいてみた』
TBSの『マツコの知らない世界』
テレビ朝日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』など
マニアックな情報を、楽しく伝えられれば、情報の価値は上がります。
情報の価値とは、人が知りたいことに変換できるかどうかにかかっていると言っても過言ではありません。
熱中体験にゲームは含まれるのか?
私は子供の頃ゲームばかりしている子供でした。ゲームに熱中した経験に情報としての価値があるのか?
昨今のYouTubeやニコニコ動画でのゲーム動画のように、誰か見て楽しいという形に変換できれば、一定の価値はあるかもしれません。
はたまた、eスポーツ界で活躍できれば意味があったかもしれません。
ゲームという経験を、他の人が「知りたい、見たい」という形に変換できれば価値が生まれたでしょう。
しかし、私の場合そのような方向に行かなかったので、ゲームに熱中した経験は時間の浪費でしかありませんでした。
むしろ、貴重な青春時代を棒に振った気がしています。
もしゲームじゃなくて絵を描くことやスポーツなどに熱中していたら、別の世界が広がっていたかもしれません。
情報という観点の他にも、自己成長を望めないところにゲームの欠点がある気がします。
ゲームの主人公はレベルアップしても、自分の経験値はゼロです。現実世界の自分は何ら成長していません。
自分に蓄積される経験がなければ、価値ある情報とはなり得ないでしょう。
まとめ
日々の生活で
観察する、本を読む、経験する、人の話を聞く
を意識し、情報を集める。
得た情報を提供することで、人の役に立つ。