「答えがない」とは自由だということ
観点によって選ぶべき選択肢は違ってくる
学校の勉強では、問題があって答えがあります。しかし、社会に出ると物事には答えがないことが多い。
私は以前、相談援助という福祉の仕事をしていたことがあります。クライアントの話を聞き、状況を理解した上で、適切な社会資源(公的なサービスや地域との繋がりなど)に繋げていくという仕事です。
このような分野の場合、実施する援助の中に答えというものは存在しません。クライアント自身が望むもの、クライアント自身が望まないもの、家族が望むもの、費用的に可能なもの、援助者が必要と考えるものといった具合に、観点によって選択肢は変わってきます。
だから、これが正解というものは存在しないのです。当然悩みます。学校の勉強に慣れていると、間違いがあって、正解があると思ってしまう。その為、社会に出てから正解がないということに慣れるのに苦労しました。
これは、普段の生活にも言えるでしょう。観点によって、選択すべきものは変わります。なので、こうすれば損しないというものはないのです。
どれを選んでも良いことがあり、悪いことがある。そう考えると答えがないというのは、怖いのではなく、自由なのだと考えられます。
どうですか?
決断することが少し軽く感じられませんか?
答えがない=正解はない=間違いはない=自由
落合陽一氏は著書「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」で、学生に質問する時に、魔法のワードを使うと仰っています。
それは、「正解はないんだけどね」と前置きすることだと言います。こうすると、学生は安心して自分の意見を話してくれるとのこと。間違えはないということが、安心感に繋がるのです。
答えがない≠怖い
答えがない=正解はない=間違いはない=自由
このように、「答えがない世の中」と聞いて恐怖に怯えるのでなく、「答えがないが故に、どんな答えを出しても良い」という自由の面に目を向けましょう。
そうすれば、もっと肩の力を抜いて生きていけると思います。
<参考文献>
0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書