子育てに意味を見出す方法
私は出来るなら子育てをした方が、将来後悔しないと考えています。
だから、自分の葬式に誰がいて欲しいかを想像する事が大事だと思っています。
でも、私は「子育て万歳」と声高らかに唱えるつもりもありません。
この考え方は、苦しい子育てに意味を見出そうとして、やっとの思いでたどり着いた考え方なのです。
私は1人でいるのが好きな人間です。そんな私が結婚し、子育てをするようになったら、何が起こったか。
そう、”1人になれない”。
育児や家事を放り出して、1人で部屋に閉じこもる事は許されなかったのです。
静かな環境が好きなのに、子供は泣き続ける。休日は人が多い場所に家族と出かけないといけない。
子供も静かに言うことを聞くはずもない。家族とは共同体。
1人でいたいのに、四六時中ストレスフルな共同生活が続く。
また、共働きで、子供が体調を崩せば、どっちが休むか?という話になる。休めば仕事は進まない。
どうしてこんなにも人生がハードモードなのか。
自由を謳歌して、やりたい事で成果をあげている方々を羨ましく思いました。
しかし、『夜と霧』の中で、ヴィクトール•E•フランクルはニーチェを引用しています。
「何故生きるかを知っている者は、殆どあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」と。
フランクルの詳しい出来事は実際に本を読んでほしいと思います。
この時、私にとっては、「何故生きるか」「何故子育てするのか」「何故家族と過ごすのか」。この「何故」が必要だったのです。
そして、たどり着いたのが、冒頭で述べた「終わりを思い描く」という考え方なのです。
これは『7つの習慣』という本に書かれている考え方なのですが、ずいぶん前に読んだこの本の内容が当てはまったのでした。
自分の葬式に子供、孫、ひ孫がいて、「父さんは愛情深い人だった。」と思ってもらいたい。
それなら、今が苦しくても子育てする事には意味があると思える様になりました。
また、『LIFE SHIFT』という本にも影響を受けました。家族などの無形資産は、慎重に投資しないと後で取り返す事はできないという趣旨の事が書いてありました。
つまり、家族はある期間に築かなければ、後で欲しいと思っても手に入れる事は出来ないのです。
後で手に入れられないのなら、今頑張って子育てする「意味」があると思えました。
私の伝えたい事は、今現在、子育てが大変で意味を見失っている方々への励ましなのです。
子育てという道を選んだものの、選ばなかった人たちが自由を謳歌している姿を横目に、大変な日々を過ごしている方々は多いでしょう。
しかし、覚えておいてください。子育てには大きな「意味」があるのです。