希望は誰にでもある
希望がもてているなら幸福である証
あなたは変化についてどのようなイメージをおもちでしょうか。
変わる。即ち「何が起こるか分からない。」ということが、怖いという方は、この記事をお読みください。
フランスの哲学者アランは、こう述べています。
要するに幸福に関しては、推論することも予見することもできないのである。いま現に持っていなければならない。幸福が未来の中にあるように見えるときは、よく考えてみるといい。それはつまり、あなたがすでに幸福を持っているということなのだ。希望すること、それは幸福であるということなのだ。
アランは、今幸福でなければ、将来幸福になるだろうと、予想することはできないと述べています。もし、将来はきっと幸福になれると希望を抱いているなら、それは既に幸福である証だと言うのです。
何が起きるか分からないということは、希望があるということ
では、将来に希望を見出せていない方は、もう幸福にはなれないのでしょうか。
いいえ。そんなことはありません。
オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルは著書の中で、
生きてさえいれば「希望」がある。「希望」こそかけがえのないものである。どんなに苦しくても「希望」を捨てる必要は決してない。何故なら如何なる人間も未来を知らないし、如何なる人間も次の瞬間には何が起きているのか知らないからである。
と述べています。
フランクルは一瞬先の未来すら、私達にはどうなるか分らないのだから、今現在が苦しくても、その先には希望があると信じてよいと言っているのです。
今どんなに辛い状況でも、次の瞬間人生に何が起きるかは誰にも分からない。
だから、如何なる状況でも希望を持って良い。
アランとフランクルの言葉を足し合わせると、以下のようになります。
【今が如何なる状況でも、次の瞬間に何が起きるのかは誰にも分からない。分からないからこそ、苦しい時が続くとは限らず、いつだって未来には希望をもてる。そして希望をもてるという事自体、自分の中に幸福がある証拠である。】
成長の機会は苦しさの中にある
困難な状況が訪れた時について、フランクルはこう言います。
人間がとる態度は環境のせいではなく、まったくもって自由な決断によって行われる。
環境のせいにして運命を担うことなく堕落していった者は、「著しく困難な外的な状況こそ人間に内面的に自らを超えて成長する機会を与えるものだ」ということを忘れている。
困難な状況が起こらないようにする事は出来ません。しかし、その時にどう反応するかは自分で決める事が出来ます。
①困難な状況 → 不平・不満・堕落
②困難な状況 → 成長の機会
どちらと考えるかは、自分次第です。
もちろん、積極的に困難な道を選べという事は一概には言えません。体調を崩したり、命の危険があってはいけません。
ただ、その様な状況に陥った時でも、私達に希望はあるし、内面的に成長出来る機会であると考える自由を持っているという事です。
強制収容所という辛い現実を生き抜いた経験から語られるフランクルの言葉には説得力があります。
たとえ今が困難な状況でも、希望をもって、成長の機会に変えていきたいですね。
<参考文献>
夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 (おすすめ)
それでも人生にイエスと言う
幸福論