幸福の3段重理論から考える結婚と子育て
樺沢紫苑さんの幸せの3段重理論を使って、結婚と子育ての必要性について考察してみたいと思います。
幸せの3段重理論とは、幸福とは以下の様なピラミッド構造になっているというものです。
3段目:ドーパミン的幸福(達成の幸福)
2段目:オキシトシン的幸福(繋がりの幸福)
1段目:セロトニン的幸福(健康の幸福)
この理論では、セロトニン的幸福とオキシトシン的幸福が基本的な幸福であり、ドーパミン的幸福はあくまでボーナスです。
多くの人はドーパミン的幸福を、いわゆる「幸福、幸せ」と考えている為、基礎のはずの健康と繋がりをないがしろにしてしまいます。
その結果、真の幸せを実現できないことになってしまうのです。
さて、ちょっと想像してください。ドーパミン的幸福を1番に追求して、達成した人がいるとします。
その人には家族がいません。または、家族がいたとしても、家族をないがしろにした結果、関係性が崩壊しているとします。
ある年齢まではオキシトシン的幸福を友人やコミュニティー、ペットが補完してくれます。
ところが、年齢を重ね、とうとう自分が寝たきりの状態になると、問題が発生します。
友人やコミュニティー、ペットは年老いて、どんどん旅立っていきます。
または、自分と同じ様に寝たきりになります。
つまり、会うことができなくなるのです。
友人やコミュニティー、ペットが、オキシトシン的幸福を補完してくれるとは言え、それは人生の最終地点までは叶わないのです。
こうして、幸せの3段重の2段目が、ジェンガの様に抜け落ちると、3段目のドーパミン的幸福は、過去の栄光となってしまいます。
もし、子供や孫がいたらどうでしょう。
子供や孫は自分より若いですから、会うことやテレビ電話などで話すことができます。
3段重はピラミッドなので、オキシトシン的幸福にも階層があるでしょう。
私は、オキシトシン的幸福の最下層(基礎)は、家族しかあり得ないと考えます。
関係の保たれた家族がいれば、セロトニン的幸福の上のオキシトシン的幸福が保たれます。
つまり、人生の幸福の基礎が保たれるのです。
もし、子供が先に旅立ってしまった場合、どう考えたら良いのでしょうか。
精神科医のヴィクトール•フランクルは『夜と霧』で、愛する人が生きているかどうかはもはや関係なくなったと述べています。
愛する人の眼差しを胸に抱けるかどうかで、困難を乗り越えていけるかどうかが決まるというのです。
子供や孫がいたと言う事実があれば、いつでもその顔を思い浮かべることができます。
しかし、子供が存在すらしていなければ、思い浮かべることすらできないのです。
幸せの3段重理論から言っても、家族は幸福の基礎であると言えます。
私は、友人やコミュニティー、ペットはあくまで幸福を補完してくれる存在なのだと思います。
喜びや悲しみを本当に分かち合ってくれるのは、「家族」しかありえないという事実を受け入れる必要があると思うのです。